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大阪高等裁判所 昭和50年(行コ)45号 判決 1976年10月29日

控訴人

久保田喜雄

右訴訟代理人

南逸郎

外二名

被控訴人

八尾税務署長

西岡照雄

右指定代理人

服部勝彦

外三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が、控訴人の昭和四六年五月一日付でした昭和四五年度分所得税の更正請求につき、同四六年一一月一〇日付でした「更正すべき理由がない」旨の通知処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠関係は、原判決四枚目裏一〇行目に「賃借人」とあるのを「賃貸人」と訂正し、かつ左のとおり附加するほか原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。

(控訴人の主張)

1  控訴人が昭和四五年度中に受領したいわゆる保証金のうち返還を要しない部分(一契約ごとに各金一六万円、合計三八四万円)は、返還を要しないこととした趣旨からしても権利金にはほど遠い性質のものであり、とうていこれをもつて当該年度に確定した不動産所得の総収入金額のうちに挙げることのできないものである。すなわち、

本件保証金のうち返還を要しない部分とは、賃貸家屋につき賃借人の責に帰すべき事由により発生した損傷のうち常軌を逸したものを除く通常の損傷を補修するに要する費用相当の損傷金に充当するための保証金である(これに対し常軌を逸した損傷補修費相当損害金は返還を要する保証金によつて充当されるし、他方、賃借人の責に帰すべからざる事由による通常の使用収益に伴う消耗費または消却費はもとより保証金に頼るのではなく、家賃収入によつてまかなうわけであるが、ただこの場合は支出の都度その年度の必要経費として計上される。)。したがつて、本来なら返還を要する保証金として扱つてもよいのであるが、損害額確定のわずらわしさを避けるため当初から一律に返還を要しないこととしたのであり、一種の損害賠償額の予定なのである。そして、近時の諸物価高騰のすう勢からするとこのような種類の損害額は返還を要しない部分の額(一六万円)を超えるのが通例である。しかし、もし超えないときは、右一六万円と損害額との差額が「収入すべき金額」として総収入金額に計上されることになるのであり、その時期は当該賃貸借が終了し、賃借人が賃借家屋を明渡した時である。

以上の次第であるから、通常の使用収益に伴う消耗費なら格別、本件で問題としているような通常の損傷補修費は本来これを当然に必要経費とすることのできないものである。すなわち、これは賃借人の責に帰すべき善管義務違反に基因する損傷補修費であるから、賃貸人としてはまず賃借人に損害賠償請求をなし、その取立が不能になつたときにはじめて経費として計上できる筋合のものであるべきである。したがつて、被控訴人がこれをも当然に必要経費として計上すべきものと主張するのは首肯できない。

2  原判決によれば、返還を要しないこととしたにもかかわらず、これを特約により後日賃貸借終了時に返還しなければならない場合((イ)法律・命令、公共事業等やむをえない事由のため家屋の使用ができなくなり契約が終了したとき、および(ロ)賃貸人である控訴人の方から解約申入れをして契約が終了したとき)は「きわめて稀」であるから、このような事例によつて一般的に右部分が収入すべき金額として確定するのは後日すなわち賃貸借終了の時であるとすることはできない、といつている。

しかし、問題は事例が稀であるかどうか、その確率といつたところにあるのでにない。たとえ一件でもそのような事例が生じた場合は、その件について納税者控訴人は明らかに不利益を蒙ることになり、看過すべきでない。また、このような契約終了時に金額返還を要する場合は決して稀とはいえない。

(被控訴人の主張)

1 控訴人の右主張1は争う。本件返還を要しない保証金部分は貸与期間の経過に関係なく返還を要しないこととされている金額であるから、その実質は一種の権利金であり、当該建物の引渡しのあつた日の属する年分の不動産所得の総収入金額に算入すべきことは当然である。

2 控訴人は、特約により本件返還を要しない保証金部分についても契約終了時の時点で全額返還しなければならない場合があることを理由として自己の主張を根拠づけようとしているがこれも正当でない。すなわち、控訴人の挙げる事例のうち前者の場合(控訴人の主張2の括弧内(イ)の場合)は、当事者双方の責に帰することができない事由により家屋の使用収益ができなくなつた場合の補償措置を特約したものであり、後者の場合(同じく(ロ)の場合)は賃貸人側の解約申入れにさいする立退料の額を予め特約したものであつて、いずれも本来の敷金や保証金の収受関係とは全く別個の法律原因によつて生じた補償金や立退料に関する特約であると解される。たまたま補償金、立退料の金額を本件返還を要しない保証金額と同額と約したにすぎない。したがつて、契約終了に伴いこのような事例が生じ全額返還を必要とするときは、それは実質経済上は賃貸借解消の対価であるから、その年分の必要経費の額に算入されるべきである。

(証拠関係)<略>

理由

一控訴人が八尾市内に借地、借家等を所有しているものであり、昭和四六年三月一五日被控訴人に昭和四五年分所得税の納税申告書を提出して原判決末尾添付別紙のとおり確定申告(いわゆる白紙申告)をしたこと、その際、控訴人が、昭和四五年中に建物を賃貸し賃借人から受領した保証金のうち三八四万円を賃借人に返還する必要がない収入金額として同年分の不動産所得の総収入金額に計上したこと、ならびに、控訴人が被控訴人に対し昭和四六年五月一七日右申告にかかる不動産所得の金額が誤りであるとして更正の請求をしたが、被控訴人が控訴人に対し、同年一一月一〇日、「更正をすべき理由がない」旨の処分をし、その旨を控訴人に通知したことは、いずれも当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すると、控訴人は昭和四五年中に新築にかかる家屋二四軒を相次いで他に賃貸してその引渡しをし、そのさいいわゆる保証金としてそれぞれ約五〇万円ないし七〇万円(その合計一、八一〇万円)の支払いを受けてこれを収受したものであるが、右各収受にかかる保証金のうち一六万円(合計三八四万円)については特約により賃貸借終了にさいしても返還を要しないものとしたことが認められ、右認定事実を左右する証拠はない。

ところで、所得税法上いわゆる不動産所得の金額はその年中の不動産所得にかかる総収入金額から必要経費を控除した金額であり(同法二六条二項)、総収入金額に算入すべき金額はその年において収入すべき金額とされているところ(同法三六条一項)、右収入すべき金額とは収入すべき権利の確定した金額と解すべきである。これを本件についてみるに、控訴人の収受した前記保証金のうち特約により返還を要しないものとした分(合計三八四万円)は貸与期間の経過にかかわらず返還を要しないこととされている金額であつて、その名は保証金ではあるがその実質はいわゆる権利金に等しく、控訴人としては賃貸家屋を引渡しこれを収受したとき自由に使用収益処分できる性質の金員であるから、結局、本件保証金のうち右返還を要しない部分は収受の時収入すべき権利が確定したものということができる。

三控訴人は、本訴において、前記の見解を否定し、(1)本件返還を要しない保証金は返還を要する保証金(賃借人の責に帰すべき事由によつて加えた損害を担保する)と同質のものであるが、ただ、賃借人の加えた損害のうち通常の損害を担保するもので(これに対し返還を要する部分は右の程度を超えた損害を担保するという)、その損害金額の算定が煩雑であるから一律に一六万円としたに過ぎず、その性質は損害賠償額の予定であり、それゆえ、収入すべき権利として確定するのは当該賃貸借終了の時である旨および(2)げんに特約によつて本来返還を要しないとされた一六万円を全額返還しなければならない場合も存する(当審における主張2参照)旨主張するのでその当否について検討する。

(1)  まず、前掲各証拠によれば、控訴人が昭和四五年中に締結した賃貸借契約はすべて書面によつてなされたもので、特段その記載以外に口頭でなされた約定部分が存するとは考えられないところ、その賃貸借の大部分はあらかじめ控訴人がその大部分の記載を印刷した賃貸借契約書用紙(甲第一号証)によつたが、一部には他の同種の用紙、すなわち、前記用紙が出来上る以前の段階に契約した場合に仲介業者が用意してきた用紙(乙第三号証)および特に賃借人の希望でその者が持参した用紙(乙第一号証の二および同第二号証の二)によつたものもあることが認められるが、これらの契約書の記載によつても、本件返還を要しない部分が、控訴人主張のように、賃借人の責に帰すべき事由による損傷のうち通常の損傷を補修する費用相当損害金に充当されるものと約されたと解する余地は見出せない。

これを敷衍するに、(イ)甲第一号証型の契約については、その第八条に「乙(賃借人)は故意または過失を問わず建物に損害を与えた時は、大小修理賠償の責任がある。乙が賠償金額を支払わない時は、甲(賃貸人すなわち控訴人)は保証金をもつて弁済に充当できる。(後略)」とあるのに対応して第一三条には「本件明渡しの時甲は保証金より金拾六万円也を差引き、金   円也を乙に返還する。(中略)同第八条による弁済金または未払賃料があるときは返還金より更に差引く。」と定めてあつて、控訴人のいう通常の補修費相当損害金は、かえつて、返還を要する保証金部分から控除充当する旨約されたと解される。(ロ)乙第一号証の二型の条約については、第八項に「本契約期間中において乙の故意又は過失に依り物件に損傷を与へたる時は乙の自費を以つて修復するものとす。」とあり、第九項には「(前略)保証金は金(当初収受した額から一六万円を控除した額)円也を返還し残額賃料は原則として払戻しをなさざるものとす。」と定めているだけで、返還を要しない部分について控訴人主張のような約定をしたとは認められない。(ハ)乙第二号証の二型の契約については第七条に「(前略)会社から指名された居住人等(要するに賃借人のこと)の故意もしくは過失により本物件を破損したるときはその修繕費は乙の負担とする。」とある一方、その特約事項の一において前記甲第一号証型第一三条と同趣旨、ほぼ同文言の約定がなされ、その返還を要しない保証金の帰趨については前記(イ)の甲第一号証型と同様の約定がなされたと解される。(二)乙第三号証型の契約についても第六条に「借主は故意及過失を問わず建物に損害を与えた時はその状況により損害賠償をしなければならない。借主が賠償金額を支払わない時は、貸主は保証金をもつてこの弁済に充当することができる。(後略)」と、第一〇条に「貸主は明渡し終了のとき保証金を借主に還付する。第六条の規定により弁済に充当した剰余があるときも同じである。」とそれぞれ定める一方、その特約条項の一として「明渡しに際しては右の契約保証金より一金壱拾六万円引と定め、明渡し完了後に差引した残額金

円也を貸主は借主に返還するものとする。」と約しているだけで、返還不要の右差引分については前記(ロ)の乙第一号証の二型と同様に控訴人主張のような特約を認めがたい。

前掲控訴人本人尋問の結果中には、叙上の点に関し、返還を要しない保証金約定をした趣旨は二つの目的があり、その一は前記控訴人主張のとおりであり、その二は短期間で次々賃借人が交替するいわゆる腰掛け的賃借を防止するためである旨供述している部分も存するけれども、その二はこれを首肯することができるとしても、その一については、控訴人の内心的な心情としてであれば格別、各賃貸借契約の解釈としては、前記約定文言に照らし、そのように解することは困難である。

(2)  もつとも、前掲甲第一号証、乙第三号証、および控訴人本人尋問の結果によると、控訴人の締結した各賃貸借については前記のような保証金のうち返還不要特約をした部分についても場合によりこれを返還しなければならないときが存すること、そのような場合とは、一つは「法律又は命令、或は公共事業施行のため本物件の取払い又は使用禁止等の事由が発生した時」であり(乙第三号証型契約の第八条。なお、甲第一号証型の契約の場合はその第一〇条において、前記同様の事教が発生した時は「甲は保証金を規約通り返還する。」と定めており、その文言によれば、返還を要しない部分を控除した保証金を返還すれば足りるようにも読み取れ、必ずしもその趣旨が乙第三号証型契約のように明らかではないが、控訴人本人は同旨であると供述している。)、いま一つは賃貸人である控訴人側の都合で解約するときであること(ただし、前記四種の契約書面にはそのようす趣旨の文言はないが、原審における控訴人本人尋問の結果によつて真正に成立したと認める甲第二号証および右尋問の結果によると、その後契約更新のさいに作成した契約書面には同旨の明文が存し、控訴人は本件賃貸借についてはすべて同様であると述べている。)が認められる。

しかし、現行借家法の建前等に照らすと、前記のような場合は極めて稀であることが当裁判所に顕著であるのみならず、このようにして返還不要特約をしたにもかかわらず保証金の全額返還をしなければならないとした趣旨を経済的、実質的にみると、それはいずれも賃借人にとつて不測の事由によつて移転を余儀なくされる場合であるが故に特にその補償金または立退料の趣旨で返還するものであると解するのが相当である(前記甲第二号証型の契約においては、その反面として、そのほか賃借人は立退料またはこれに類する物的要求は絶対しないことも定めている点参照)。

したがつて、例外的に稀に返還不要の保証金を返還するのは、実質上、通常の保証金返還の場合とは異なり、賃貸借解消または終了の対価として必要となつた支出と解するのが相当で(それゆえ、支出年度における不動産所得計算上必要経費として計上すべきものである。)、叙上のような稀な場合の存することを根拠として控訴人の前記主張を肯認することはできない。

四そうすると、控訴人が昭和四五年中に収受した本件返還を要しない保証金合計三八四万円は全額控訴人が申告したとおり(なお、うち三二万円二軒分については控訴人も争わない)同年度の不動産所得の総収入金額として計上すべきものであり、控訴人が本訴で主張しているように、通常の保証金または敷金と同視し賃貸借が終了しなければ返還を要しないことが確定しないものとしてその賃貸借が終了した日の属する年度に計上すべきものではない。したがつて、これと同趣旨のもとに本件返還を要しない保証金を昭和四五年分の不動産所得の総収入金額に計上した控訴人の確定申告に誤りはなく、控訴人の更正の請求は理由がなく、その他被控訴人のした「更正をすべき理由がない」旨の処分になんら違法はない。

よつて、これと同旨の原判決は相当で、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(朝田孝 戸根住夫 畑郁夫)

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